怒る中村教授の会見を古舘のニュースで見て、ふと「中村修二」でヒットした方々の日記を読む。特許業界の隅っこで働く自分だから、何か書かなくちゃとは思うけれども、のほほんと働いているせいで、この件はいくらが妥当なのかよく分からない。
はてな内では中村教授に共感する声が多いようだけれど、業界では、今回の和解の額が妥当だという意見が普通なようだ。相場に合っているから、とのこと。精神的苦痛の金銭評価とか、事故の過失の割合とか、発明の貢献度とか、そういったものにはいちいち相場があるらしい。利益や損害は金銭に換算することが原則でもあり(少なくともこの国の私法はそう)、そういう原則の下で裁判官がちゃっちゃと仕事を片付けて行くには仕方がないという気もするのだけれど、何でも無理やりに数字にしてみせる訴訟というのは、何とも割り切れない手続だと思う。
これに対し、600億円という認定額はおそらく世界一だろう、とのこと。中村教授が評価する米国では、少なくとも技術・研究職については発明の対価の支払法まですべて雇用契約でがっちり固めるので、こういう訴訟はあまり起きないらしい。何でも裁判のイメージがあるあの国の実態としては意外なのだけれど。法解釈レベルでクネクネと揉めるのは日本とドイツくらいだそうだ。
で、いくらが妥当か分からない、とは書いたが、あえて自分の考えを決めるとすれば、中村教授は600億円もらってよかったのだと思う(必ずしも現行法の解釈・当てはめとしてそれが妥当だという意味ではない)。600億円という額を聞くと、とんでもない額だ、そんなに払わせたら会社がつぶれてしまう、到底払えない、と、直感的には感じる(相場なるものも、会社が困らないような額、という観点もコミで決めてあるらしい)。けれどもこの額は利益の50%ということで算出した額なのだから、会社は1200億円を手にしているわけで、払えないことはないはずだ、とも思える。現実にはそういう資金もいろいろに回転させてしまって会社の手元にはなく、だから払えないというのは一応本当なんだろうが、そういう事情は会社内部の都合に過ぎないとも言える。まあ、50%という数字は結局どういう根拠で出てくるの?という謎はあるんだけれど、直感的にはそのくらいすごい発明と言えるだろうってことで。(でもこんな見当のつけ方じゃあ、やってることが裁判所と同じだな。)
ただ、ホントのホントに妥当な線を見つけるには、個人の幸福追求と社会システムの維持とのバランスを、非常にたくさんの(それこそ社会科学の全分野の知見を総動員するくらいの)ファクターを織り込んで決める必要があると思うので、結局やっぱりよく分からない、という結論になってしまう。とりあえずそんな感じ。そんなよく分からないものを分かったふりしてガンガン裁断できる裁判所ってのは、仕事とはいえご大層なものだね、ってことで。