小泉純一郎靖国参拝に反対な人の間で、「私的な参拝自体は心情倫理的には許されるが」うんぬんかんぬん・・・、あるいは「たとえ私的な参拝でも公的な立場にある以上」どうしたこうした・・・という切り口で語る人が多いような気がする。まあ一般論としてはそう無意味でもないのだろうけれど、この人、内閣総理大臣になる前は一度も参拝をしたことがないという御仁なのだし、就任以降に公約の実現としてやっている参拝が、ある有権者層向けの“純粋な”政治的行為であり公的な行為であることは明らかだと思う。だから、いかに裁判所向けに目的効果基準をかわす体裁を作ろうとも私的側面は実質上まったく存在しないのであり、この人の具体的ケースで心情倫理の概念を持ち出したり、個人の信教の自由と政教分離の相克をあれこれ論じるのは見当ちがいではないかと思う。