何年サイクルかは知らないが、気が付くとまた女人禁制の山が世間の話題になっていた。自分も、山登りをした当人たちに好感を持つことはできないだろうけれど、それはおそらく彼女らの傲慢な市民運動テイストのせいであり、女人禁制のルールに疑問を投げかけたことそれ自体は、たぶん原因ではない。
しばらくほうぼうを眺めてみて、一番腑に落ちる話を書いておられたのはこちらの方だった。これに比べると、内田先生や、憲法の人権ネタとして切り込む人などの論は、自分にとってはあまり説得的でなかった。・・・宗教は個人の心の問題です、私的領域です、聖なるものです(あるいは、憲法で保障された人権です)、だから世俗の勢力による侵犯はまちがっています・・・で終わりではちょっとなあ(割り切って書く憲法の答案ならいざ知らず)。科学の発展をつい最近まで抑圧していたものは何だったか。日本の男尊女卑を正当化する“典拠”は何だったか。宗教という本質的に非理性的なものに、自らの存在する領域を自発的に弁える“理性”を期待できるだろうか。神授されたと称する王権を打倒して以来理性への信頼が強いフランスでは、なぜあんなに政教分離が厳格なんだろうか。