代用監獄は当面存続か永続かで綱引きしている状態らしい。つまり廃止の方向に向かう気はないということだ。警察庁の推薦委員を中心に出ているという永続論には「歴史的経緯や国際認識にこだわっていると現代に対応できない」というものがあるらしい。しかしその「国際認識」というのは代用監獄なしで対応できている諸外国の認識なのだろうから、そういう国々の政策を学べばよいはずだろうになぜそうしないのか、という考えは誰でもまず浮かぶ。実は対応できていないとか、対応できていても日本にはどうしても輸入できない性質のものだとか、何かそういう事情があるんだろうか。いずれその辺を少しは勉強してみたい。
他にもキヤノンのカートリッジ事件控訴審の判決とか、死後の人工授精の認知請求事件の判決とか、いっぺん読んでみなくては、というものが続いている。
前者はタンクにインクを注入する工程がインク入りタンクの製造方法の発明の本質的要素かが問題になっているらしく、それを肯定した判決文の中では、この判決の射程がリサイクル品全般に及ばないように釘を刺してあるらしい。自分としては、特許法の解釈として発明の構成要素が「本質的」であるか否かのメルクマールを立てる際に、リサイクルとか環境保護とかの観点を織り込むことがどの程度できるものなのかに興味がある。これが普通に産業振興とかならば特許法1条の趣旨から導けるだろうが(実際、ソフトウェア関連発明などではその種の観点から正味の審査基準がよく揺れている)、環境への配慮というのは産業の発達とは逆向きのベクトルを持つものと思えるので。また、ニュースを見たところでは、発明の実施行為以外の企業の「日頃の行い」のようなものまで判断に取り込まれているように見えるので、そういう判断がどういう論理の下に行われているのかにも興味がある。
後者については、子の利益などを考慮すれば、生物学上の親子関係とはある程度独立に法律上の親子関係が観念されなければならない、という基本的な考え方はもっともだと思う。その考え方が今回具体的にどう当てはめられたかを確認しておこうと思う。
あと思うのは、どうやら行政法の重要性は思っていたよりずっと高そうだということで。指定教科書に行く前にと予備校本を下読みして、その上でニュースを見るとそう感じる。それ自体は必ずしも行政訴訟の話ではないというニュースでも、関連性のあるものは多い。