今日もばっちり順調に株価が下がっている。・・・のをみて、最近終わったあの導入科目でのひと言を思い出す。曰く、この日本では、モノを所有している人より、そのモノを使っている人の方がいつの間にか偉そうな風を呈してしまう風潮があります、それでよいのでしょうか? 云々。モノとは例えば株式会社であり、従って「所有している人」とは、例えばあの鉄火場で分秒刻みに株式を売り買いしているメンツのことなわけで・・・。
まあメンツのことはもうどうでもいいとしても、このレクチャー内容、労働価値説的な見方からするとどうなんだろう。所有権などというマジックワードを盾にアガりを分捕る人よりも、労働を投下することでモノの価値を現実化している人の方が偉くて当たり前じゃん、という気もする。ものの本によれば、ここでマルクスが「価値」という言葉を用いるその用法こそが、この前の憲法の授業で出てきた説得定義 (persuasive definition)にあたるものだ(要するに眉に唾してかからねばならぬ代物だ)、というのだけれど・・・たとえ意味のすり替えが多少行われているにしても、この定義、依然本質を捉えているというか・・・(いや、ここで「本質」という言葉を使ったらまずいわけで。面倒くさいな)・・・「価値」について考えるときに思いを致すべき側面を的確に捉えているように感じるんだが。
 
http://d.hatena.ne.jp/amegriff/20060608/1149752659。そういえばきのうの古舘ニュースでも似たような、加害者の親を吊し上げるレポートがあって、観ていて不愉快だった。「親の責任って何だ?」と訊き返す親を無視して、レポーターは「親の責任を果たそうとは思わないのか?」と重ねて問い続ける。そうすることで、親の問いの答えもすべて親自身に出させる。もちろん教育的配慮などであるはずがない。レポーター自身、何も答えられないから強引に無視し、自分がすべき仕事まで加害者の親に押し付けたわけだ。そういうインチキなレポートだった。