きょうの“法の相対化入門”の講義では、先週やった確率のクイズの正解発表があった。向こう側に賞品がある当たりの扉1つとはずれの扉2つの計3つのうちから挑戦者が1つを選び、司会者が残る2つのうちはずれである方を開けて見せてから選択を変更するチャンスを与えたとき、賞品が当たる確率は、選択を変更しなかったときと変更したときでそれぞれどうか、という問題。
「変更しないと3分の1、変更すると3分の2」というのが発表された正解。はじめに選択した扉が当たりである確率が3分の1、残りの2つのいずれかが当たりである確率が3分の2で、その2つのうち1つははずれであることを教えてもらったので、結局残る1個が当たりである確率が3分の2、と、こういうことになる。
しばらく考えてみた限りでは確かにそれが正解だと思うが、先週やった自分はまちがえた(理系なのに恥ずかしい)し、直感に反した答えなのも確か。「直感の思考回路」のどこに誤りが混入するんだろう。今のところの考えとしては「『人間が自由に判断して選択する』というステップに対する評価を誤るんだろう」てな感じがするが、そうじゃないような気もする。気付けば簡単なことなんだと思うが今のところ気付かない。
これは、たとえばこんな問題に関係あるかもしれないが、関係ないかもしれない。

 Xさんが、ジョーカーとハートのエースの2枚をよく切って、机の上に伏せて2枚横に並べて言った。「ハートのエースは、さあどっち?」 Yさんは、自分から見て左側のカードを指さした。
(1) 当たっている確率はいくらか。
(2) カードを伏せて並べたとき、Xさんには、Yさんから見て左側のカードがハートのエースであるのが見えた。Yさんにはバレていない。当たっている確率はいくらか。
(3) ジョーカーの裏側にはシミが付いていた。当たっている確率はいくらか。
(4) Yさんは事前に2枚のカードを裏表チェックする機会をもらっていたが、ジョーカーの裏にシミがあることに気づけなかった。当たっている確率はいくらか。
(5) XさんもYさんも知るよしがないが、実はYさんから見て左側がハートのエースである。当たっている確率はいくらか。

ときにこの授業、法曹エリート様が立法に携わるときのために面白い観点を与えるのが目的だったようで。確かに面白い観点なんだけれど、そういうのが授業の目的だとすれば、自分はまるでお呼びでないことになる。はぁ…。