『自然居士』を観る。自然居士というのは鎌倉中期に実在した人物だそうで、ササラ(聞いた感じ、中華鍋を洗うアレとは別モノな感じだが)をジャラジャラさせながら説法をする坊さんたちがいて、そのうちの有名どころがその人だとか。その後、その手の坊さんは大道芸の数を増やす一方で説法の方は形骸化し、放下(放下僧)という芸人になった。一方、白拍子の人とかが『自然居士』という演目で舞や鞨鼓といった芸をワンパックで披露するようになり、それを知る観阿弥が自分の座でも同じようなことをやった。そしてそれをみた子の世阿弥が、そういった芸を取り込んだものを能の演目の体裁にまとめたのが、今日の『自然居士』…なのではないか、とのこと。一般には観阿弥作といわれるらしいが、そういったわけで実質は世阿弥作ではないか、とのことだった。まあ、そうなると話の筋書きはシテの舞にもっていくための方便、ということになるが、だからといって別につまらない話ではない。