文藝春秋(たぶん初めて買った)の、村上春樹の例の手記を読んだ。スピーチの全文に触れて最初に書き留めた感想を、変更する必要はないように思う。サポートする箇所を抜き出してみる。

「大事なのは総論ではなく、一人ひとりの人間です。個人というのがすべての出発点だというのが僕の信念です。」
「ガザやウェストバンクに行くことも考えましたが、今回はそれよりも、普通のイスラエルの人が何を考えてどんなふうに生きているのか、むしろそっちの方を知りたかった。」
「ウェストバンクでは有刺鉄線と監視塔のある壁が、ハイウェーに沿って延々と続いています。この壁はイスラエル全土で六百キロ以上あります。ためしに運転手に『この壁は何のためなの』と聞いたら『動物がハイウェーに出てこないように囲っている』と言う。動物除けのために、二十億ドルもかけて高さ八メートルの壁を建てるかよと思うけど。でもそういう発言に対して僕はあえて反論しませんでした。どうしてかというと、そういう主張をする人も、心の底では何か割り切れないものを感じているという雰囲気を強く感じたからです。」
イスラエルという国自体が、個人と同じレベルでトラウマを背負っているのです。過剰防衛はいけないと頭で分かっていても、少しでも攻撃されれば身体が勝手に強く反撃してしまうのかもしれない。正しい正しくないとは別に、われわれはその心理システムを理解する必要があると思います。」
「(地下鉄サリン事件の)実行犯たちはもちろん加害者であるわけだけど、それにもかかわらず、僕は心の底では彼らもまた卵であり、原理主義の犠牲者だろうと感じます。」