きょうは卒業式だった。が、式と式の間に延々だべったことの方が記憶に残るわけで。「自分は人の感情が分からない、悲しいとか楽しいとかが分からない。」しかし人の挙動を観察して表情は完璧に合わせる。その感情表現は、演劇をやらせれば著名な俳優に、そんな人とは気付かせないまま天才と言わしめる。そういう人間チューリングマシン(や、ちがうな。チューリングマシンではなく、「チューリングテストをクリアするマシン」)みたいな人がいたのだという話。法は、人間がそういうものでもあり得るのだということまで想定できているだろうか、とか、そんな話にもなった。
あと謝恩会、ローマ法の先生やその心の弟子と言われる行政法の先生など、肝心な人がおいで下さってませんなあ、と残念がる話もあった。