昨晩書いた文がキーワードに一つも当たっていないことにびっくり。さみしいのでもう少し書いてみる。きのうはお能を観た。5,6回目くらいになる。が、いまだに能楽のお約束などまるで覚えておらず、前衛演劇でも観るような感覚で観ている。演目は『砧』。なんでも作者の世阿弥が、この味わいは後世の者には解るまい、と自ら宣った作品らしい。自分など、理解できているのかどうかの判別自体まず不能だろう。ただ、よほど地味で抑揚もない作品なのだろう、という事前の想像とはちがい、破、急の部分はずいぶんと激しかったと思う。また地謡の存在感があれほど強いものは初めて観た。結局寝る暇はなかった。最後に成仏するくだりは、何やら取って付けたような感じもするのだけれど、時代的にも、世阿弥の思いとしても、やはり付けないという選択はあり得なかったんだろう。また、妄執の象徴であるはずの砧の音が成仏への扉となった、という一節は、確かに今のところ、自分には解釈が難しい。