この北尾といういかにもなおじさんは、おそらくM&A屋としては大人物なんだと思うが、堀江氏のことをまったくの同業者と思っているフシがあり、また株主と経営者が同じ土俵に乗ることに特に疑問を感じていないフシもある。おそらく彼は、この両者と顧客(つまり視聴者)との関係についても、何かしらズレた認識を持っているのではないか、という印象を持った。日本社会で酸いも甘いも噛み分けた(っぽい)人ほど外国から見るとガキ、というのはなんかよくあるパターンのような。あ、「日本の常識は世界の非常識」って言葉があったな。

  • 「公共の福祉」という憲法用語の難しさを改めて思った。「公共」を素朴に解釈してしまうと簡単に全体主義テイストを盛り込めてしまうというので、通説的には「公共の福祉」=「人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的衡平の原理」のこと、とされるわけだが、これは要するに「人権は、他人の人権を侵害しない範囲において主張できる」ということ。例えば「人の行動は原則として自由だが、他人を殺傷する自由までは認められない」みたいな図式。言い替えれば、人権の制約は「『人権』という概念」に内在した理由によってしか行われない、という理屈だ。しかしその「他人」の顔がよく見えないケースは、何か別の理由での人権制約が行われているかのような様相を見せる。「裁判所も選挙制度と税制の訴訟では『人権vs人権』の図式を放棄している」などとも言われる。そんなときに「ほら憲法に『公共』と書いてあるじゃないか、素直に読もうよ」てな誘惑が働くのも、分かるのは分かる。けれど、個々の制度の存在理由に思いを致し、その向こうにある個人の顔を見ようとする姿勢も必要なんじゃないかと思った。