http://www.asahi.com/life/update/0609/007.html
ひめゆり部隊の話は退屈だった」という主旨の文章を読解させる国語の問題が、現実の試験問題としてどうなのか、という「問題」。難しい話だと思った。この「問題」が、というより、これを「問題」と認識する人がいるという『問題』が。この「問題」を認識したオトナは、この文章が「ブッシュの演説は退屈だった」だったとしても公平な結論が出せるか。表現行為が他人に与える害について、それが試験問題として行われた場合と、市場での商品の販売として行われた場合とを公平に捉えられるか。そして何より、この種の問題が、筆者の意見への賛否がどうあれまずその意見は意見として正確に理解する、という学生の力を試し育てる、という目的を持っている点を汲み取り、無下に潰さない方向で議論できるか。結論ありきのパーチザン的議論では、難しいと思う。
 
追記:国語ではなく、英語の問題だった。