きのうは、最近届いたシラバスと便覧も読んでみた。まだ現実の授業のきつさを知らない今は、やはり無邪気にわくわくしながら読めるものだ。まだ先の年次のものとはいえ、何やらソシュールだのエーコだのと書かれた科目もあって目を疑う。同じ先生の別科目も実験的色彩が強い。まあ、浮世離れしたものを何かひとつは履修して帰ろうと思っているので、法哲学などと並んでこれはその候補かもしれない。フランス語を思い出してみるのもいいかも。ただ6単位の論文は未修上がりごときに歯の立つ代物ではなさそうだ。止めておけとは書かれていないが便覧からそういうオーラが出ている。
そういえばこの学校、就職対策とは関係なしに学生が「履修科目でよい成績を取る」ことに価値を見いだしている点が、ちょっと特殊だなと感じていた。最近はどこでも単位認定の厳格化が進んでいるのかもしれないが、ここは昔からそうだったと思う。自分の母校だと、少なくとも自分が卒業した当時は「成績評価と学習の深度とはしょせん無関係、勉強とは各自で評判を頼りに本を選び勝手にどこかでやるもの、単位は揃いさえすればよい」という雰囲気があり、優の数で一喜一憂したりその数を競ったりというノリはなかった。それからすればここは正反対に近いようなイメージがある。
人を測る物差しに多様性がなくやたらと勝利条件の分かりやすい競争が好きなんだな、などと意地悪い見方もできるかもしれないが、そういうことよりはやはり、授業自体が充実しているという自信があるから受講者の評価も自信を持ってできる、ということなのだろう。学生も大学側のその自信を受け入れていると。だとすればそれは(裏付けの伴った自信なのである限り)健全なことだと思う。教育機関なのだからそれが当たり前、大枚をせしめて自習の場所と卒業生のステータスとを与えるだけの場所であってもらっては、本来は困るのであるし。多様性云々は、単位を揃えることを通じて基礎を固めたうえで、その先にある世界へ行って言うべきことだろうと思う。
自分はといえば、まあそう良い成績がとれるとは思えないが、まずはこれまでため込んできた勘違いをきちんと矯正して、あとは自分と未来のクライアントにとって満足のいくような履修をしようと思う。

しかし栃東は何をしてますか。