映画の『夕凪の街 桜の国』を観た。原作をよく読んで作ってあると思うし(原作の忠実なコピーだという意味ではない)、自分の主観ではミスキャストもない。広島弁がリアルではないという話もあるらしいが、わしゃあ本物を知らんけんのぅ。まあ原作を超えたとまで言うつもりはないけれど、それでも想像していたよりは全然よいものだと感じた。
ただヤフーのコメントをみると、評価の数値はほぼ一様に高いのに対して言葉で書かれた感想はいろいろで。たとえば例の「しょうがない」発言にからめたコメントは一様にあの発言を非難するのだけれど、あの発言がいけない理由はどこにあるのかという話になると、見方がひとつに収束してはいないように見える。メッセージ性(あんまり好きな言葉じゃないが)は高い映画なのにこうなるというのは、やはり扱われている問題の特殊性や、この問題の過去の扱われ方の特殊性のせいじゃないかと思う。もっとも、見方がいろいろであること自体は悪いことじゃないのだし。
自分でこの映画がよいと思うところの一つは、人の命のつながりが物語を貫く軸としてよく見える形で示されているところなのだけれど、その軸に沿ってさらに何を受け止めるべきなのか、というのはまた別の問題のようだ。それでもその軸だけはものを考える目印としてはっきり見えるように、という思いでこの映画はできているのか、とも思う。