刑事事実認定に関して。供述者が「不合理な」弁解をしたら追及せざるを得ないし、その供述は割り引いて考えざるを得ない。それはそうなんだが、人間が「不合理な」存在であることを考えれば、「不合理」である、ということの意味も、この言葉が使われる場面に応じて考え直さなければならないはずだと思う。しかしこの言葉は、「客観的な証拠に符合しない」という意味で使われることもある一方(まあ、この「符合」という概念も甘くとらえるとどうしようもなくなる曲者だと思うが)、「常に合理的な言動をする人間ならばしないはずの言動である」ということしか意味していない場合もある(そしてここにいう「合理的」の意味も、トートロジーの要素を含んでいてとらえ難い)。常に合理的な言動をする人間ならばしないはずの言動をした、という供述が取調べ中に出てきたら、本当にそうなのか、と問い質さざるを得ないが、結論として「そのような言動はあり得ない、だから実際にはしていなかった」と認定することは、まあ民事だったらともかく、刑事裁判で必要な「『合理的な』疑いを超えた証明」といえるのか。そこに「合理的」という言葉の意味のすり替えはないのか。 …てなことを5月の末に思いましたとさ。