■きのうは裁判員制度を扱ったNHKのドラマも観た。要は裁判員が受けるであろう負担や感じるであろう葛藤の種類を説明できればよいものだったので、そういう意味では、裁判員候補・候補の自分たちにもよく分かる良いドラマだったと思う。民放には上手く作れないと思う。個人的な感想としては、三浦友和もあき竹城もミョーに老けない人たちだな、とか、わーい内山理名だ、とかそういうしょーもないのが一番に来ちゃったけど。すいません。
まあドラマの本質からややそれたところで気になった点はあった。例えば、ドラマの事件は、自分の持ち物(被告人はホームレスで、持ち物とは住処である段ボール箱だった)をバットで壊そうとした人を制止しようともみ合っていたら肘だかバットだかが当たって死んでしまった、というものだったが、これがなぜ傷害致死なのか(暴行の故意がないから過失致死、ということにはならんのか)という疑問には答えなきゃいかんだろう、とは感じた。制止する行為自体が人の身体に向けられた有形力の行使だから「暴行」であり、従って制止する行為をしている認識がある以上は暴行の故意がある、という理屈なんだろうけど、世間の常識からはズレると思うので。
また、バットを持ってきたのが被害者だという証拠が出て、これは正当防衛か過剰防衛ではないのか、という話になったとき、「正当防衛にあたる事実の真偽が不明なときはどう判断すればいいのか」という趣旨の裁判員の質問に対する裁判官の回答が「表に現れた証拠に基づいて判断してください」で終わっていたのも、どうなのかという気がした。結論は実務上の取り扱いに合致してるんだろう。けれど、「疑わしきは被告人の利益に」なんていう言葉は世間にもよく知られているし、これに照らしたら「正当防衛(過剰防衛)ではないこと」を検察官が証明しなくちゃいけないことにならんのか、という疑問は十分普通に感じられることだと思う。だからこれにもドラマ中で答えた方がよかったと思った。
あー、思いっ切りそれたな、ドラマの本質から(笑)。
しかしこの裁判員制度、一部の筋からは猛反対を受けているそうだ。人民裁判化するからか、と言えばさにあらず、司法の独善を追認する茶番に過ぎないからだと。うーむ、そういう理屈になりますかねえ?
 
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