一澤帆布の話を読んでいてふと思ったこと。法学をひと通り勉強した人にとっての「興味深い問題」というのは、国際私法でいうところの「適応問題」のようなものであることが多いと思う。ある法分野Aで通用している解釈aと、別の法分野Bで通用している解釈bとが相まって、個別の事案でまずい結論をひき起こす、これは「興味深い」ですね、みたいな。ゼミでホイホイ発言できる既修生も、今思えば、適応問題がないかと目を光らせる訓練が行き届いている人であるように思う(普通の授業で習うような解釈論は、いわば同一法分野内の規律間での適応問題の話であるし)。これは便利な一種の問題発見ルーチンみたいなものなんだろうと思う。しかし、未修生が引っ掛かりを覚える問題というのは、そういうものよりむしろ、法的には難なく「適応」してしまっているような問題ではないかと思う(うまく言えないけど)。そういうものが世の中で真に問題とされるに足るようなものであるならば、それに気づける半分素人法律家というのも存在価値はあるのではと思う。